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2018年11月09日

たまには気分転換でも・・・・・。

彼は忙しなく振動を続けるスマホを手に取った。



着信者の欄に『栞』と表示されている。



今日、この名前を見るのは5回目になる。



彼はおもむろに電話に出た。



すると、悲しそうな声が聞こえてくる。



「どうして電話に出てくれないの? もう永遠に電話に出てくれないのかと思った」



「うん、そう思ったから出たんだよ」



「今、何してるの?」



「旅行かな、で君は何をしているの?」



「そうね、私は貴方と一緒に行くはずだったレストランの前にいるのよ」



「すまない」



「すまないってどういう事?」



「急に旅に出たくなった」



「旅って、今何処に居るの?」



「下呂温泉・・・かな」



「下呂温泉って岐阜県の?どうして私とディナーに行くはずだった貴方が



そんな所に居るの?」



「だから、すまない」



「そうじゃなくって、どうしたの急に・・何かあったの?」



「急に温泉に入りたくなった」



「ただ、それだけ?」



「うん、だから、すまない」



「1人でバイクに乗って?」



「そう、とても静かで良い湯だ」



「私はこれからどうすれば良いの?」



「何か美味しいものでも食べれば良い」



「私ひとりで?」



「僕も1人だよ」



「そうじゃなくって・・・私も行きたかったな」



「うん、だから、すまない」



「何か話が前に進まないわね」



「僕もそう思う」



「分かったわ・・・せっかくだから1人でディナーでも楽しむ事にするわ」



「それが良い」



「ねぇ、いつ頃戻ってくるの?」



「どうかな、たぶん明日には戻るのだと思う」



「仕事もあるんでしょ?」



「うん、でも温泉が気持ち良いんだ」



「わかったわ・・・・でも、そんなに温泉が好きだったんだ?」



「うん、自分でも驚いてる」



「電話にはちゃんと出てね!」



「努力するよ」



「努力じゃなくて、電話くらい出てね!彼女だよね?私?」



「うん、だから努力する」



「今度はちゃんと私も連れて行ってね」



「努力する」



「それじゃ、おやすみなさい、あまり飲みすぎないでね」



「うん、おやすみ」



そう言って電話は終わった。



彼は、先程、温泉の帰りに買ってきた缶ビールを手に取りプルタブを



勢い良く引いた。



そして、そのまま口に持っていき息が続くまで飲んで口から離した。



体の隅々までビールが行き渡っていくのを感じた。



そう言えば、何も食べてなかったな・・・。



彼は、ゆっくりと安宿の部屋を見回す。



素泊まりで宿泊したのだから仕方が無いが、あまりにも殺風景な部屋の



中に薄い布団だけが無造作に敷かれている。



時計を見ると、時刻は午後9時になりそうだ。



仕方ないな・・・・。



彼は重い腰を上げて浴衣のまま部屋から出て階段をくだり、そのまま宿の



外へと出た。



昼間の蒸し暑さが嘘の様に風がとても心地良かった。



とりあえず、温泉街の中を歩き、どこか腹ごしらえが出来そうな店を探した。



すると、いかにも大衆食堂という雰囲気の店がおあつらえ向きに見つかった。



彼は迷うことなくその店に入り、一番早く出てきそうな定食を注文した。



とにかく、腹に入れば何でも良い・・・・。



そんな気分だった。



店の中には、労働者風の男がひとり、テレビを見ながら定食とビールを



かき込んでいた。



テレビから流れる野球中継の音がかなり大きかったが、それがその店には



合っている気がして不思議と不快ではなかった。



少し待つと、彼が注文した定食がテーブルに運ばれてきた。



彼は追加でビールを注文し、定食と合わせて一気に胃袋に収めた。



勘定を済ませ、店から出て宿へと歩いていく。



虫の音がとても大きく聞こえ彼はその音さえ楽しんだ。



川原では子供達が花火をしており、彼はしばらくの間そこで立ち止まり



一服の清涼を得る。



花火はすぐに終わり、辺りは静けさに包まれた。



彼はゆっくりと歩き出し宿へと向かった。



その道すがら、開いている酒屋があり、彼はそこに立ち寄り



缶ビールを5本買い、勘定しながらその内の1本を開け、口へと運ぶ。



先程の食堂で飲んだビールよりも少し美味しく感じる。



そのまま宿に着くまで、合計2本の缶ビールを飲んだ。



そして、宿に着くと、さっさと自分の部屋へと戻り窓際へと陣取る。



窓際の手摺はかなりガタがきてぐらついていたが、彼はその手摺に



構わず体重を預けた。



そして、買ってきた缶ビールを手元に置いて、だだ真っ暗なだけの



外の景色を見ながら立て続けに残りの3本を飲み干した。



それにしても、やはり平日ということもあり、その宿は静か過ぎる。



こんな安宿でも、週末には観光客でいっぱいになるのかな?



そんな事を考えていると急に酔いが回ってきて、彼は倒れこむように



布団の上に転がった。



布団の冷たさが気持ちよかった。



そして、その夜はそのまま眠りについた。



翌朝、早起きした彼は、朝食もとらずにバイクのところへ行く。



少し汚れているのが気になっていた。



彼は宿のおかみさんに許可を貰ってバイクを洗車する。



水をたっぷりと掛け、柔らかい布で洗うと、彼が大好きな銀色と黒色の



ボディが際立っていく。



洗車が終わると、すぐにバイクのエンジンを掛けた。



ビッグツインの鼓動がとても心強かった。



彼は宿へと戻り支払いを済ませると、すぐにその場から出発した。



そして、近くのコンビニで朝食を頬張っていると、彼のスマホが振動している。



「もしもし、おはよう、よく眠れた?」



「うん、おはよう」



「ちゃんと電話に出てくれたのね」



「努力の賜物だ」



「うふふ、本当に。で、今日は東京に戻ってくるんでしょ?」



「そのつもりだよ」



「そう。それなら良かった」



「喜んでくれて僕も嬉しいよ」



「東京に戻ったら電話してね」



「努力する」



「会いたいのよ」



「うん、僕もだ。だから、努力する」



「それじゃ、気をつけて帰ってきてね」



「そうだ、気をつけなきゃ」



「まるで、他人事みたい」



「僕もそう思った」



「ふふ・・・それじゃね」



そう言って電話は切れた。



彼は食べかけのパンをコーヒーで流し込むと、再びバイクのエンジンを掛け



走り出した。



~2days later~



彼は忙しなく振動を続けるスマホを手に取った。



着信者の欄に『栞』と表示されている。



今日、この名前を見るのはもう10回目以上だろうか。



彼はおもむろに電話に出た。



「どうして電話に出てくれないの?あれからもう20回以上かけてるのに・・・」



「うん。すまない」



「で、今、何してるの?」



「旅行かな、で君に何をしてるの?」



「貴方は本当は昨日此方に帰って来てるはずだったの・・・・」



「すまない」



「そして、私はそれを首を長くして待っていたのよ」



「また急に旅に出たくなった」



「旅って、今何処に居るの?」



「有馬温泉・・・だな。良い湯だ」



「有馬温泉って兵庫県の?また更に遠くに行ったのね」



「だから、すまない」



「東京からは何キロくらいあるのかしら?」



「それは僕にもわからない」



「でも、かなり遠い事は間違いないよね」



「うん、そうだね」



「私がそっちへ行こうかしら」



「それはどうかな」



「だって、貴方が戻ってこないなら私がそっちに行くしかないでしょ?」



「なるほど、君は頭が良い」



「もしかして、馬鹿にしてる?」



「いや、僕は真剣に言ってる」



「そう・・・まあいいわ。で、今度はいつ戻ってくる予定なの?」



「それが僕にもわからないんだ」



「わからないって自分のことでしょ?」



「うん。自分でも不思議だ」



「相変わらず話が前に進まないね」



「僕もそう思ってた」



「ねぇ、いつ戻ってくるの?仕事もあるんだよね?」



「うん。君は仕事が出来るから」



「私の事じゃなくて貴方の事よ?」



「なるほど、僕の事か・・・・」



「そうよ。貴方自身の事よ。」



「それで、僕はどうすれば良いのかな?」



「そうね。まずは婚約者が待つ東京まで帰ってくるっていうのはどうかしら?」



「なるほど、それは妙案かもしれない」



「本当にそう思ってる?」



「勿論、僕はいつも本気だ」



「それなら分かるわよね?式まではもう日にちも無いのよ?」



「そうか。式があるのか。確かにもうすぐだ」



「のんびり出来るのも今のうちだけどね。でも、もうタイムリミットなの」



「そうか、タイムリミットなのか」



「そうよ。もう何も言わないから、明日、東京で会いましょう」



そう言って電話は切れた。



彼は、バイクから降りて、近くのコンビにまで歩いていく。



そして、陳列棚に置いてあった缶ビールを2本手に取るとそそくさと



支払いを済ませてバイクに戻った。



バイクにまたがり、缶ビールを開けた。



そして、空を見上げるように、缶ビールを一気に飲み干した。



缶ビールはとても苦く感じた。



季節はもう夏が近づいていた。


Posted by 細田塗料株式会社 at 21:55│Comments(0)
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