2018年11月09日

滑落

これは知人から聞いた話である。



彼女は趣味で山登りをしている。



しかも、殆どの登山を彼女単独で行っているのだという。



確かに、グループでの登山も安心感とか会話の楽しみという点では



魅力的なのだが、山頂まで到達した時の充実感と達成感は、やはり



単独での登山の方が圧倒的に上回るのだという。



勿論、彼女とて最初から単独で登山を始めた訳ではなく、当然



初心者の頃はベテランの方達と一緒に登り、様々な事を



教わったらしい。



そして、彼女の性分なのだろう。



それなりに上達すると、すぐに単独登山に挑戦したらしい。



計画から用意、そして日程まで全て彼女自身で行い、それが



全てうまく機能し、彼女は無事に最初の単独登山を成功させた。



それからというもの、本格的な登山の場合は必ず彼女は単独で



登る様にしている。



しかし、これまで全てがうまくいった訳ではないらしく、その中でも



怖い体験として話してくれたのが、この話だ。



その日は生憎の雨模様だったが、久しぶりに取れた連休をどうしても



山で過ごしたいと考えた彼女は、朝明けきらないうちに宿を出て



山へと車を走らせた。



せっかくの登山だったので、彼女は前日から山の近くにある民宿で



一泊して、早朝からの登山に備えていたのだ。



そして、実はその山への登山は彼女にとって初めてではなかった。



登山者が少なく、そして険しい山・・・。



そういう理由で再び、その山を選んだ。



登山口に到着し、登り始めると、相変わらず雨は降っているが、



決して登りのペースは遅くならなかった。



そして、登り始めて1時間ほど経った頃、ちょうど山を下ってきた



数人の登山者とすれ違った。



そり際に、こんな事とを言われたという。



もしかして、お1人で登られるんですか?



私たちが最後ですから、ここから上にはもう誰も居ません。



本当なら今日みたいな日は、単独での登山は止めた方が良いですよ・・。



それに、こんな日は、出会ってしまうかもしれませんから・・・。



こんな言葉だった。



冗談を言っている顔には見えず、彼女はその言葉の意味が理解出来なかったが、



特に気にする事もなく、そのまま山を登り続けた。



そして、それから2時間ほど経った頃、彼女はもう少しで頂上



が見える、と安堵したという。



とても順調な登山だった。



しかし、突然、雨が酷くなり、雷も鳴り出した。



山の雷というのはとても危険らしく、彼女はどこか身を隠す場所を



必死で探した。



すると、前方に、女性の登山者が数名立っており、こちらにおいで、と



手招きしていた。



確か、先刻すれ違った登山者達は、もう上には誰も居ないと言っていたのに



ちゃんと居るじゃないか・・・。



彼女はそう思うと同時に、前回登った時の事を思い出していた。



確か、あの女性たちが立っている場所に、山道は無かったと思うんだけど・・・。



だから、何かおかしいとは思ったらしいが、すぐ側から聞こえる雷の



轟音に彼女の体は無意識にその女性たちの方へと走っていた。



すみません・・・助かりました・・・。



そう言った瞬間、彼女はとてもつない違和感を感じた。



まるで宙に浮いているかのような・・・。



そして、それは違和感などではなく、彼女はそのまま崖の下まで



滑落してしまう。



まるでエレベータが急降下した時のような気持ち悪い感覚が続き、



そして彼女の体は、崖下に叩きつけられた。



彼女は薄れていく意識の中で、



なんであの女性たちはあそこに立っていたの?



と考えていた。



それから、数時間後、彼女は意識を取り戻した。



体を起こそうとしたが激痛が走り力が入らなかった。



落ちた所は幸運にも草地の上だった。



彼女は天を仰いだ。



すると、自分が先程落ちたであろう、崖の上が見える。



高さにして10メートルくらいか・・・。



それにしても、この尋常ではない痛みは何だ?



彼女は痛みをこらえてそっと体を起こした。



声は出なかった。



しかし、自分の体を見た時、彼女は突然のめまいに襲われた。



右足の足首と、左足の太ももから下が、物理的に在り得ない方向に



曲がっていた。



そして、良く見ると、左手の指が2本折れて骨が露出していた。



運よく出血は免れてはいたが、こんな状態では這って動く事すら



侭ならない。



彼女はもう一度、自分が落ちてきた崖を見上げた。



すると、ちょうど中間地点に、張り出した鋭い岩が見えた。



あれに当たって骨が折れたのか・・・・。



そして、あの岩のお陰で死なずに済んだ・・・。



彼女は自分でも不思議なくらい冷静だった。



そして、唯一無傷だった右手でリュックから携帯を取り出す。



電波は届いていた。



しかし、電話をかけてみたが、どこにも繋がらない。



彼女は気力を振り絞って、携帯で友人に、救助要請のメールを打つと



そのまま天を仰ぐようにして草の上に倒れこんだ。



幸運にも雨は上がっていた。



しかし、季節は6月だというのに、気温はとても冷たい。



ただ、彼女は思っていた。



きっと気温がもっと高かったら、この怪我は我慢出来ないほどの激痛



をもたらしていたのだろう・・・。



しかし、この低温のお陰で、痛みはある程度感じなくなっているのだろう、と。



そんな風に考えるのも以前、登山を教えてくれた恩人から聞いた言葉が



支えになっていたから・・・。



苦難に遭遇したら、悪いことを考えては駄目だ。



それは生きる希望まで奪ってしまうから。



だから、もう駄目だ、と思った時は、いつもポジティブに考えること。



そして、信じていれば、きっと道は開けるから・・・。



そんな言葉を聞いた時は、よく意味が分からなかったが、今こうして



死と直面してしまうと、その言葉の意味がとても良く分かったという。



悪いことは起こるが、そればかりではない。



きっと活路は在る筈・・・・・。



そう考えて必死に自分を勇気付けた。



携帯で救助のメールは送った。



だから、きっと助かる・・・。



そんな思いが彼女の頭の中を駆け巡っていた。



彼女は草地に寝たまま、片手で器用に水筒を開け水を飲んだ。



すると、何故か急に咳き込んでしまい背中と胸が痛かった。



それでも、彼女は、更に水を飲み、食料を少しだけ食べ、



リュックから防寒着を出して体にかけた。



誰かに見つけてもらえないか、とライトを何度も点灯させた。



そう、生きる為に彼女は出来うる限りの事を全て行った。



すると、少しだが気持ちが落ち着いてきて彼女は少し眠たくなった。



この状態で寝ても大丈夫なのか?



それは自分でも分からなかったが、彼女はその場は本能に任せて



少し眠ることにした。



実際には深い眠りなど就ける筈もなかったが、それでも目を閉じて



いるだけで、スーッと疲れが取れていくのが分かった。



友人に送った救助メールの返信が無かったのが気になっていたが、



彼女は、運命を信じて気持ちを楽に持った。



すると、突然、声が聞こえてくる。



痛いでしょ・・・。



楽になりたいでしょ・・・。



彼女が顔を上げると、そこには見知らぬ男女5人が立っていた。



登山服を着ていたから、最初、彼女は通りかかった登山者が助けに



来てくれたのだと思った。



しかし、どうやら、それは間違いだとすぐに分かった。



そもそも救助するとしたら、誰か1人が降りてくることはあっても



全員が降りて来る事など考えなれなかった。



しかも、その5人の様子はどうも普通ではなかった。



顔が笑っていたのだ。



とても嬉しそうに・・・。



この人達、人間ではない・・・。



そう確信した時、再び、彼らが声を掛けてくる。



痛いの嫌だよね・・・。



すぐ楽になれるから・・・。



そして、一緒にいこう・・・。



そう続けた。



彼女は、そんな言葉には惑わされない、と心に決めた。



この人達はきっと自分のあの世に連れに来た霊達なのだと・・・。



しかし、その人達が語りかけてくる度に、心は乱された。



それどころか、そのモノ達を目の前にしてもまったく怖くなかった。



そして、いつしか、



このまま死んだら楽になれるのかな・・・。



そんな事を考え始めてしまう。



そして、彼女が



一緒に行っても良いけど・・・・。



と口走ってしまった途端、その男女の顔はあからさまに気味の悪い



笑い顔に変わった。



そして、一気に彼女に近づき、男女5人で彼女の手をとった。



不思議な感覚だった。



手もそして、足の骨も間違いなく折れているのに、全く痛みは無く、



少し痒さを感じてしまう。



ああ・・・これが楽になれるっていうことなのか・・・。



そんな事を考えてしまった。



もう彼女が落ちた崖の中腹にある草地のギリギリの場所に彼女は立っていた。



風が心地よく、眼下には、着地点が見えないほどの崖が続いている。



しかし、全く恐怖は感じなかった。



それよりも、



ここから飛び降りたら気持ち良いだろうな・・・。



そんな事ばかりを考えていた。



すると、突然、彼女を含めた男女の中に何かがぶつかってきた。



それはぼんやりとした光の塊だったという。



その瞬間、今ほどまで此処に居た男女の姿は消え、再び体中に



激痛が走った。



そして、遠くなる意識の中で彼女は、



こんなところで死んじゃいけない・・・。



生きて、またこの山に来て・・・・・。



そんな声を聞いたという。



それから、彼女が次に意識を取り戻したのは病院のベッドの上だった。



肩を脱臼し、指を欠損し、両足の骨が露出するほど酷い折れ方を



していたが、彼女は何とか生きて戻ってきた。



そう思うと涙が止まらなかった。



それから彼女は1年以上入院し、更にリハビリも続け、3年後には



再び、その山を訪れた。



登山仲間達と一緒に・・・。



そして、今ではもうあの時の事は不思議な話として話せるくらいに



気持ちも回復している。



そして、最後に、彼女が送った救助メールだが、本来なら携帯が



壊れていて送受信出来ない状態だったらしい。



そして、実際に、彼女の救助メールを受け取った友人が、返信しても



全く届かなかったのだという。



もしかしたら、それも、彼女の生きたいという強い思いが呼び寄せた



奇跡なのかもしれない。




Posted by 細田塗料株式会社 at 22:21│Comments(0)
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