2018年11月09日

許し

これは俺の友人の話である。



彼は、大学で学生に経済学を教える助教授。



2歳年下の妻と8歳になる一人娘の3人で暮らしていた。



大学の助教授というと、かなり良い暮らしをしているイメージが



あるが、彼によるとそれはあくまで、ごく一部の教授だけであり、



その言葉どおり、彼の生活はとても質素なものだった。



公営住宅に住み、妻は共働き、彼自身も毎日、妻の手作り弁当を



持って大学に通っていた。



ただ、彼にとって、そんな暮らしが幸せだったのだという。



妻ともよく喧嘩をしたし、娘も勉強が嫌いで遊んでばかり。



彼もいつも仕事が遅くなり、なかなか家族との団欒の時間は持てなかった。



だが、家族3人で暮らせるということだけでも幸せなのだと



彼は言った。



あの頃にはそれに気付けなかったのだが・・・・。



彼は、ある休みを利用して家族で温泉に行くことにした。



妻や娘を驚かせてやろうと、毎月きちんと貯金をして費用を捻出し



宿泊先も、妻が以前から行きたがっていたかなり高級な旅館を



選んだ。



全ては妻と娘の喜ぶ顔が見たくて、彼は残業の他に、バイトもこなして



その日、家族に出来るだけの贅沢をさせてやろうと、頑張って働いた。



しかし、結局、大学での急な出張が入り、彼はその温泉旅行に行けなくなった。



その事で、妻とも喧嘩になりかなり険悪なムードになった。



勿論、彼自身も仕事など放り出して家族と温泉に行きたかったらしいのだが、



大学の、しかも教授からの依頼である出張を断ることなど出来るはずも無く



彼は、妻と娘だけで温泉旅行に行くように奨めた。



妻も彼と喧嘩状態にあったから、あっけなくその提案を呑んだ。



娘と二人だけで思いっきり温泉を楽しんでやろうと・・・。



妻と娘が温泉旅行に出掛ける日、彼は早朝の電車に乗る為に、まだ



夜が明けきらないうちに家を出た。



当然、妻と娘の顔も見ることが出来なかった。



そして、出張先で彼は突然の連絡に愕然とした。



温泉旅行の帰り道、妻が運転する車が、対向車線をはみ出してきた



車と正面衝突し、妻も娘も病院へ担ぎ込まれたという連絡だった。



彼は急遽、出張先から病院へと向かった。



すると、妻も娘も集中治療室に入れられ、意識も無い状態だった。



そして、彼が見守る中、妻と娘はほぼ同時期に死亡が確認された。



不思議な事に、妻も娘もほんの一瞬だけ目を開けて彼を見たのだという。



酸素マスクや色々なチューブが取り付けられ、その表情は、



怒っているのか、笑っているのかさえも分からなかった。



悲しみが深すぎて泣く事も出来なかったという。



それから、しばらく彼は抜け殻のようになってしまう。



何もする事も考えることも出来なくなった。



そして、それが過ぎると、今度は酷い罪悪感が彼を襲った。



自分が一緒に旅行に行っていれば・・・・。



自分が車を運転していれば・・・・。



妻と喧嘩などしなければ・・・・。



そして、



きっと妻も娘も俺を恨んで死んでいったに違いない・・・。



と思うようになった。



そんな時、ちょうど彼の元に、妻の死亡保険金が入ってきた。



そして、彼の生活は完全に崩壊してしまう。



スポーツカーを乗り回し、仕事も休み、昼夜問わず、酒に溺れる日々。



そして、得体の知れないサークルに入り、心霊スポットにもよく



行く様になった。



その理由は、



早く死にたいから・・・・。



きっと、妻と娘は俺だけが生きていることを許してはくれないだろう。



そして、きっと俺をあの世に連れて行きたがってるに違いない。



そして、心霊スポットに行けば、もしかしたら妻と娘に会えるかもしれない。



そんな馬鹿げた理由だった。



さすがに、見かねた俺も、彼を何度も止めたのだが、その度に、



もう、放っておいてくれ!



と冷たくあしらわれた。



しかし、そんな自堕落な生活を続け、危険な事ばかりしている彼だったが、



何故か怪我1つしなかった。



事故に遭ったこともあるのだが、同乗者は大怪我をしても彼だけは



かすり傷ひとつ負わなかった。



そして、俺が唯一、彼の事を相談したのがAさんだった。



話を聞き終えたAさんは、大きくため息をついて、



その人、Kさんよりも馬鹿かもしれないですね・・・・。



と呟いた。



そして、珍しくAさんの方から、彼に一度会わせてくれ、と言ってきた。



だから、俺は彼に電話をかけて会う日を決めた。



会う気は無い、と言われたが、最後だから・・・と無理やり納得させた。



そして、当日、Aさんと一緒に彼の家へと向かった。



玄関の呼び鈴を押すと、既に昼間から酒を飲んでいる彼が



顔を出した。



俺とAさんは、彼の家の中に入る。



そして、家の中を見渡していたAさんは、小さな声で、



やっばり、そうか・・・・。



と呟いた。



そして、彼と3人でリビングに座る。



変な女を連れてきて、どういうつもりだ・・・。



と彼は挑発してきたが、珍しくAさんは反応しなかった。



そして、



あの・・・最初に言っておきますけど、私は貴方の為にここに来たんじゃ



ありませんから・・・。



貴方が死のうが大怪我をしようが、どうでも良い事なので・・・。



だから、これから、私の口から出る言葉は私の言葉だとは



思わないでください。



貴方にとって、かけがえのない筈の人の言葉ですから・・・。



そう前置きしてから、こう続けた。



貴方が心配で、成仏できずに、ずっと貴方の側に、この部屋に居る



人達がいます。



そうです。貴方の亡くなられた奥さんと娘さんです。



心霊スポットなんかに行っても奥さんにも娘さんにも会えませんよ。



ここで、ずっと貴方を見守っているんですから・・・。



貴方は、奥さんと娘さんが貴方の事を恨んでいると思っている



らしいですが、とんでもないです。



最後に病院で死ぬ前に貴方の顔を見られた事が、嬉しかったそうです。



事故で即死する人も多いのに、貴方の顔を見れて、幸せだったと。



だから、あの時、奥さんも娘さんも貴方に見せようと、精一杯



笑ったそうです。



喧嘩をしていても、別の場所に居たとしても家族なのだと・・・。



そして、貴方がそうだったように、奥さんと娘さんにとっても、



貴方はかけがえのない存在だったと。



そして、奥さんも娘さんも、貴方を恨んで、あの世に連れて行こうと



してはいませんよ。



それどころか、ずっと貴方を護ってるんです。



馬鹿なことを続けても、死ぬことも大怪我をする事もなかったのは、



奥さんと娘さんが、貴方を護っていたからです。



でも、死んでからも、誰かを護るというのは、とても辛い痛みを



伴うことなんです。



そして、貴方がこんな馬鹿な事を続けている限り、奥さんも娘さんも



貴方が心配でずっと側で護らなくてはいけない。



それが、どんなに辛いことだか分かりますか?



本来なら、安息の場所で休んでいる筈なのに・・・。



それでも、まだ、こんな馬鹿げた生活を続けるんですか?



私には、奥さんと娘さんが可哀相でなりませんけどね。



でも、それは、私が決められることではないんですよね。



悔しいけど・・・・。



貴方と奥さん、そして娘さんのご家族で決めなくてはいけないんです。



本当は、貴方みたいな大馬鹿は、私がこの手で懲らしめてやりたい



んですけど、そうしたら、きっと奥さんと娘さんが身を挺して



貴方を護ろうとする筈です。



そして、そんな優しいモノを相手に、私は力を使いたくありません。



そう言うと、Aさんは、



本当はこんな事はしたくないんですけどね・・・・。



と言いながら、部屋の端に向けて手をかざした。



すると、そこには、心配そうな顔で彼を見つめている奥さんと娘さん



の姿が見えた。



そして、それは間違いなく彼にも見えたのだろう。



彼は、大粒の涙を流しながら、



ごめんな・・・ごめん・・・・。



と嗚咽の混じった言葉を吐き出していた。



そして、その姿を見たとき、間違いなく、奥さんと娘さんは涙を流し、



そして、ニッコリと笑った。



それが、俺がその日見た全てだった。



そして、それから彼はすぐに大学に復職し、以前にも増して



真面目に働くようになった。



そして、毎日、奥さんと娘さんの遺影に手を合わせるのを欠かさない



そうだ。


Posted by 細田塗料株式会社 at 22:23│Comments(0)
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