2018年11月10日

初めて転倒した夜

大学時代は神戸で過ごした。



ただ、大学の2回生までは、借りていた寮の関係から、西区という



神戸という地名が持つ都会的なイメージとはかけ離れた場所で生活していた。



周りには緑が広がっており、はっきりと言ってかなりの田舎だった。



まあ、それでも、舞子からも近く明石駅からも近かったので、



全く不便の無い場所ではあったのだが・・・。



神戸で最初に驚いたのは、地震が多いという事だった。



実は金沢というところは地震がかなり少ない。



たまに、震度1くらいの地震があっただけで、翌朝の話題になってしまう



くらいだから、相当なものだ。



だから、最初に寮に入った時、頻発する地震に驚いてしまった。



思わず部屋から逃げ出して、寮の前にあるコンビニに飛び込んで、



今、揺れませんでした?



と聞くと、



え?揺れたけど、それがどないしたん?



と聞き返され、神戸恐るべし、と思わず思ってしまった。



それからの俺は、地震と金沢訛りによって苦しめられる事になった。



それはさておき、大学時代は、すぐにバイクの免許をとった。



今考えると、小学校、中学校、高校、大学といつも兄と同じ大学に



通っていた。



偶然と言えば、あまりにも不思議なものである。



再び、それはさておき・・・・。



バイクの免許は取得しのだが、やはり大きなバイクは高価であり、夏休みに



400ccのバイクを買うまでは、50ccのアメリカンに乗っていた。



確か、ヤマハのバイクだったと思うが・・・。



しかし、そんな俺とは対照的に、友達になった奴らは、すぐに400ccの



バイクを購入した。



実際、それはすごく羨ましかったのだが、一番困ったのは、そのバイクで



色んな所に行くのに、50ccの俺のバイクでは到底追いていくのがとても



大変だったという事。



ホンダCBX400、カワサキGPZ400、スズキGSX400R、ヤマハFZ400、



そして、ヤマハRZ350、という錚々たる当時のスポーツバイクに、50ccの



アメリカンバイクが追いていけるはずもなかった。



それでも、彼らは、文句を言いながらも、ペースを合わせてくれたり、ずっと



先の方まで行ってから、俺を待っていてくれたのだから、感謝しなければ



いけないが・・・・。



そして、俺が人生で初めてバイクで転倒したのは、ある夜の事だった。



その時、CBXに乗る友人が、夜景を見に行こうと誘ってきた。



時刻は既に、午前0時を回っていた。



エアコンの無い部屋の暑さに耐えかねていた俺は、その誘いに乗った。



バイクは駐車場から少し離れた所まで押していき、そこで初めてエンジンを



かけた。



50ccバイクの割にうるさい排気音の為に、いつも苦労させられる。



ギアをローに入れてゆっくりとバイクをスタートさせる。



田舎という事もあり、車の通りは殆ど無かった。



CBXに乗る友人も、目的はあくまで夜景を見に行くということなので、



俺の速度に合わせて走ってくれている。



住宅街を走っているか、やはり時刻が遅いせいなのか、道には誰一人



歩いていなかった。



自分のバイクのうるさいエンジン音だけが、やけに耳についた。



俺はかなり無理をして走っており、友人も決して速く走ろうとしていた



訳ではなかった。



しかし、排気量の差というのはやはり大きく、友人のバイクは少しずつ



離れて行ってしまう。



そして、閑静な住宅街を抜けて、いよいよ通り道にある、某大学の



近くを走っていた時、それは突然、俺の目の前に現れた。



ヘッドライトが照らす前方の道に突然、道路脇に一人の女が立っているのが



確認できた。



だから、俺は少しだけ右に寄ってその女から離れた場所を走り抜けるつもり



だった。



すると、その刹那、その女がおれのバイクに向かって飛び込んできた。



まさに一瞬の出来事だった。



その女は突然、俺の目の前の空中に浮かぶと、そのまま俺の前方に覆いかぶさる



様にしてハンドルにしがみついてきた。



俺はいったい何が起こったのか、全く分からなかった。



俺の目の前には、その女の顔が大きく視界を塞いでいた。



その女には眼球の無い眼と大きな口しか存在していなかった。



鼻も耳も眉も全てが欠落していた。



ただ、頭部には長い髪の毛が、ただ風になびいていた。



そして、その女の口が笑ったように見えた。



その瞬間、俺はヤバい、と思い、全力でブレーキレバーを握った。



タイヤのロックする音と、路面を滑るような音が聞こえ、次の瞬間、俺は



バイクとともに、路面の上を滑っていた。



焼けるように肌が痛かった。



暑いという理由でライダージャケットの腕の部分をまくっていたのを



俺は後悔した。



それと同時に、俺は恐怖していた。



まだ、その女はしっかりとバイクにしがみつくようにして前方視界を



塞いでいた。



それなりの速度で走っていたバイクは転倒してもその速度を落とすことなく



アスファルト路面の上を滑り続けていた。



俺は、体を無理やりひねると、バイクの蔭に身を隠すような体制をとった。



何故か、そうしなければいけないのだと思った。



そして、次の瞬間、突然、その女の姿が消え、俺の視界が開けた。



俺の目の前には、ガードレールの切れ目が迫っていた。



うわぁ!



ヘルメットの中でそう叫んだが、俺には滑り続けるバイクを止める事など



出来る筈も無かった。



バイクはそのままガードレールの下のコンクリート部分にぶつかって、そのまま



ガードレールに突き刺さる様にして止まった。



俺は痛みと恐怖で固まっていた。



ガードレールに突き刺さった自分のバイクを見て、涙がこぼれてきた。



前方を走っていた友人が慌てて戻ってくるのが分かった。



そして、俺に走り寄ると、



お前・・・よく死ななかったな・・・・。



まあ、生きててくれて良かった・・・。



あのバイクの様にガートーレールに突き刺さっていたのが、お前だったら、



間違いなく死んでたぞ!



そう言われて思わず、ぞっとした。



そして、ゆっくりと立ち上がった俺は、アスファルトの上に血の跡が続いている



事に気付いた。



ハッとして自分の腕を見ると、半袖のジャケットから出ていた部分が路面に



擦れて、俺の腕を削ったのだという事が理解できた。



結局、そのバイクはそのまま廃車になった。



そして、俺はといえば、アスファルトで削った腕には、路面の小石や砂利が



沢山入り込んでしまっていたらしく、それから、腕の肉が腐って削げ落ちて行き



腕の骨が露出する寸前までになってしまった。



その時の1日2回の病院での包帯交換と薬を塗る治療は、想像を絶する痛み



だったのを今も覚えている。



そして、俺はその後、ある噂を先輩から聞いた。



どうやら、その某大学の近くでは原因不明の死亡事故が多発しているらしく、



特にバイクに乗っている者は絶対に夜間は通らない道なのだということを。



勿論、その後、俺も二度とその道は通らないようにしていたが、やはりそれからも



原因不明の事故が多発しているのはよく耳に入ってきた。



そして、その事故はきっと、あの女が引き起こしているのだろう・・・・。



あの眼球の無い眼と大きな口しか存在していない顔の女が・・・・。



そう思えて仕方なかった。



そして、この話には後日談がある。



俺がその場所で人生初めてのバンクでの転倒を体験した日から1年も経たない



うちに、友人がバイクで亡くなった。



一緒に何度も六甲山へ走りに行ったりしていたが、とても速くそして何より



上手かった。



そして、その友人がバイクで事故死したのが、俺が転倒したのと同じ場所だった。



どうして、実家が灘区にあり、そこから大学に通っていた友人がそんな時刻に



その場所を走っていたのか、は分からない。



ただ、友人の葬儀に参列し、出棺前に最後の別れをさせて貰った際、友人の



顔を見た俺は愕然としてしまった。



その顔は大きくひしゃげ、そしてフルフェイスのヘルメットを被っていたにも



拘わらず、両目は潰れ、歪んだ大きな口が開いたままになっていた。



ただの偶然・・・なのかもしれない。



しかし、それ以来、俺の友人は誰もその道を利用する者は居なくなった。



それが、例え昼間であったとしても・・・・。





Posted by 細田塗料株式会社 at 09:36│Comments(0)
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