2019年06月08日

安すぎる宿

これはかなり前に俺が体験した話である。



車で出張に出かけた俺は、その帰り道、G県をうろうろしていた。



打ち合わせが長引いてしまい、客先を出たのが既に夜。



金沢市へ戻るのはかなり厳しいと判断した俺は、その日泊まれる宿を探していた。



雨がどんどん強くなって来て車のワイパーを早くしても視界の確保が困難な



ほどの天候。



更に、土地勘も無い俺は、速度を落として走行するしかなかった。



そんな時、目の前に看板が見えた。



○○温泉⇒



日本3大名○として名高い温泉郷。



確か、幼い頃に家族旅行で一度だけ訪れた事があった。



それに、その日はウイークディ。



温泉郷と言っても、平日なら、それほど混雑していないだろうと思った。



そして、どうせ一泊するのなら、温泉が良い・・・・。



そんな軽い気持ちで・・・・。



車を温泉郷の方へ走らせるとすぐに、大きな川が目の前に現れ、その両岸に



沢山の温泉旅館が立ち並んでいるのが見えた。



あ~、確かに幼い頃に家族で訪れた時もこんな景色だったよなぁ・・・。



そんな郷愁にも似た気持ちを感じつつ、その日に泊まれる宿を探した。



大きく豪華な温泉旅館やホテルは避けた。



きっと、料金が高いだろうと思ったから。



だから、こじんまりとした古そうな宿を物色した。



しかし、何処に入っても全て満室状態で余裕はないと言われてしまう。



どうやら、大きな団体客がその日、その温泉郷を利用している様だった。



それでも、車で野宿だけは避けたかったし、何より早く温泉に浸かって疲れを



癒したかった俺は、必死になって旅館を回る。



しかし、やはり何処の旅館も満室状態の様だった。



回れる旅館も残り少なくなった時、俺は立ち並ぶ旅館の中でも最も古く最も



小さな旅館に飛び込んだ。



だが、そんな旅館でも、やはり満室だという返事が返って来た。



そこで、俺は大学生の頃、添乗員のバイトをしていた時に聞いた、旅館やホテル



というものは、人間一人くらいなら一晩泊められる程度の場所はいつでも



確保してある、という話を思い出し、思い切って聞いてみた。



ただし、その中には曰くつきの部屋というのも含まれるのだが・・・・。



すみません…どんなところでも良いんですけど・・・。



どんなに狭くても食事が出なくても構いません。



一晩だけ泊まる事は出来ませんか?と。



すると、しばらく奥に引っ込んだ従業員らしき女性が、おかみさんらしき人を



連れて戻って来た。



そして、



お困りの様ですから分かりました。



ただし、いつもは使用していない部屋になります。



勿論、食事も用意しますし、温泉にもご自由にお入りください。



そう言われ、仲居さんらしき女性を呼ぶと俺を部屋まで案内してくれた。



俺は九死に一生を得た気分で、何度もお礼を言った。



部屋までの道のりは長かった。



こんな小さな旅館に見えた奥行きはかなり広いのだと驚かされた。



長い廊下をひたすら歩き、そして曲がり、そして下り、また延々と歩き続けると



廊下の奥に部屋があるのが見えた。



特に変な空気は感じなかった。



ただ、仲居さんがその部屋の前に行くと、合計で3つの大掛かりな鍵を



開けるのを見て不安になった。



思わず、



この部屋って、何か出たりしますか?



幽霊とか・・・・・・。



そう聞くと、仲居さんは笑いながら、



お客さんは視える方なんですか?



と鍵を開けながら聞いてくる。



俺は下手な事は言わない方が良い、と思い、



いえ、全く視えませんゲとね・・・。



すると、仲居さんは、笑いながら、



それじゃ、大丈夫ですよ!



こんなに厳重に鍵を掛けてあるのはあくまで防犯上の事ですから!



と元気に答えてくれた。



そして、部屋の中に入ったが、やはり特に違和感を感じたり頭が痛くなる事も



なかった。



仲居さんに食事の場所と時間を聞き、部屋の鍵を渡された後、仲居さんは部屋から



出ていき俺一人になる。



俺はすかさず部屋の中を調べ始めた。



部屋は和室になっており、入口から一段上がった場所にトイレと洗面所、そして



風呂場か在り、その奥は広々とした10畳ほどの畳の間。



その部屋の中には小さなテレビと掛け軸、そして押入れがあり、その中には



布団が山のように重なり収められていた。



そして、一番窓際は障子があり、その奥は板の間に小さなテーブルと



両サイドに椅子が置かれており、そこからは窓の下を流れる川面が



激しい雨の中、ぼんやりと揺れていた。



悪くなかった・・・・・いや、急遽、用意してくれた部屋としては



文句のつけようの無い部屋だった。



ただ、一つだけ気になっていた事があった。



それは、この部屋を用意してくれた時、おかみさんが提示してきた金額。



朝夕2食付きで○千円。



あまりにも安すぎると思った。



ビジネスホテルよりも安い金額。



勿論、困っているのを見て融通してくれたのかもしれないが、それにしても



これだけの部屋をほんの○千円で泊まらせてくれるというのは単なる好意



と受け止めれば良いのか、正直悩んでしまう。



しかし、この部屋に泊まれないとなると、車の中で寝るしかない。



俺は余計な事は考えないようにして、さっさと風呂に入り、食事も一緒に



済ませる事にした。



風呂も広くて疲れが一気にほぐれ、食事も予想以上に豪華だった。



気分を良くして部屋に戻った俺は、途中に売店で買った缶ビールとつまみを



持って部屋の中に入る。



部屋の灯りを点ける・・・・。



その時、一瞬、誰かが部屋の中に立っているのが見えた気がしたが、明かりが



点いた時には、何も見えなくなっていた。



俺は気のせいだと自分に言い聞かせ、奥の部屋に入る。



部屋には布団が既に敷かれていた。



確か、仲居さんから布団はご自分でお願いします・・・と言われていたので



少し奇妙だったが、疲れていた俺にはありがたかったので、そのままスルーした。



テレビを点け、蒲団の上に横になってテレビを見ていると、疲れの為か、すぐに



睡魔に襲われた。



すると、その時、隣からガヤガヤという声と、風呂に入っている様な湯音が



聞こえてくる。



あれ?



隣にも風呂があったんだ・・・・。



それなら、わざわざ遠くの風呂まで行く必要も無かったな・・・・。



そんな事を思っていると、そのまま睡魔に落ちた。



テレビと灯りを点けたまま・・・・・。



そして、それからどれくらいの時間が経過したのだろう・・・。



突然、そう、まさに突然、目が覚めた。



疲れている時には朝まで起きる事など無い筈なのに・・・・。



相変わらず、風呂に入っている音が聞こえているが、ザワザワという声は



もう聞こえない。



そして、あれほど強く降っていた雨も既にあがっている様だった。



え?何時なんだ、今?



そう思って腕時計を探す。



そして、その時、嫌な事に気が付いてしまう。



先ほど、風呂の音が聞こえてきたのは、右隣からだった。



しかし、今、風呂の音が聞こえてくるのは明らかに自分が泊まっている部屋の



中からだった。



そして、もうひとつ・・・。



俺は確かに部屋のテレビと明かりは点けたまま寝落ちしたはずだった。



しかし、今、テレビもそして部屋の明かりも消えている。



いったい誰が消したというのか?



それに、部屋の空気がとてつもなく重く感じる。



俺はとりあえず早く部屋の明かりを点けようと立ち上がろうとした。



そして、その際、ふと視界の中に誰かがいるのが見えた。



窓際に立ち、外を見ている女がそこにいた。



俺は、何を思ったのか、とっさに



あの…どちら様ですか?



と聞いてしまう。



しまった!と思うと同時に部屋の明かりを点けようと必死になる。



しかし、何故か明かりは全く反応が無かった。



そして、まるでスローモーションのように窓の外を見ていた女がこちらへと



振り返った。



月明かりに照らされた女の顔には眼も鼻も口も無かった。



ただ、どうしてそう思ったのかは自分でも説明できないのだが、俺にはその女が



泣いている様に見えた。



着物を着た髪の長い女。



年齢は20代という感じであり、着物から出た手足だけが異様に長かったのが



とても鮮明に記憶に焼き付いている。



そして、俺は体の自由が全く効かなくなっている事に気付く。



完全な金縛り状態というやつだった。



窓際に立っていた女はこちらへ振り向くと、そのまま静かにこちらに近づいてきた。



歩くというよりも滑るように近づいてくる女に、俺は強い違和感を感じていた。



ただ、怖いという感覚はあまり感じなかった。



その間も俺は必死に金縛りから解放されようともがいたのだが、全く



効果は無かった。



そうしているうちに、その女はおれの目の前までやって来た。



そして、おもむろに俺の手を掴んで、引っ張ろうとした。



とても冷たい手だったが、不思議と恐怖は感じなかった。



その時、俺の携帯が鳴った。



すると、俺の金縛りも一瞬で解けてしまった。



慌てて電話に出ると、



本当に手間のかかる人ですよね?



今何時だと思ってるんですか?



それはAさんからの電話だった。



本当にKさんって、歩く幽霊ホイホイみたいなもんですよね。



こっちは、たまったもんじゃありませんけど・・・・。



そう言うと、



もう逃げ道は無くなってますから覚悟決めてくださいよ!



今から気を送りますから、携帯を霊の方に向けてくださいよ!



と言ってくる。



俺は、



あの・・・あんまり悪い霊じゃないと思うんだけど?



と返すと、Aさんは呆れたように、



本当に平和な人ですよね?



勿論、分かってますよ。



今、Kさんの前にいるのは、Kさんを助けようとしてくれている奇特な霊です。



じゃあ、風呂場の方を見てくださいね・・・。



そう言われ、風呂場の方を見ると、何か゛泥の塊の様なものが畳の上を這って



来るのが見えた。



ウェッ・・・・ウエッ・・・・と呻き声も聞こえてくる。



俺は慌てて携帯を耳に当てると、



うん…見えた・・・どうすればいい?



と必死にAさんからの返事を待った。



すると、Aさんは、



だから携帯をその霊の方へ向けろって言ってるじゃないですか?



と言うので、俺は言われたとおりに携帯を黒い泥の塊に向けた。



次の瞬間、部屋の中が一瞬、真っ白に光り、その眩しさに俺は眼を背けた。



そして、次に目を開けた瞬間には、もうその黒い塊は居なくなっていた。



更に、女の霊の姿も何処にも見えなくなっていた。



俺は携帯を耳に当て、



やっぱり、あの女の人の霊も消しちゃったの?



と聞くと、



だからぁ~、あれはKさんを助けようとしてくれたって言ってるじゃないですか?



そんな良い霊を消したりしませんって・・・。



Kさんが助かったから、その場から自分で消えたんだと思いますよ。



ということで、これは貸し・・ですから・・・。



今度、しっかりと埋め合わせして貰いますから!



そう言って、電話が切れた。



その後は部屋の明かりもしっかり点いたし、嫌な空気もすっかり消えていた。



まあ、それでもまた寝る気持ちにはなれなかったので、俺はそのまま朝まで



起きていたのだが・・・・。



結局、朝になり、部屋から出た俺は、隣にある筈の風呂場を探したのだが、何処にも



風呂場など見つからなかった。



それでは、昨晩聞こえていた風呂の音は一体どこから聞こえてきていたというのか?



そして、更に、会計の際、部屋の布団を敷いてくれた事のお礼を言うと、



誰もあの部屋の布団など敷きにいってはいない、と言われてしまった。



あの部屋で過去に何かがあったのか、それとも何もなかったのか、は今と



なっては確かめようがないが、俺を助けようとしてくれた女の霊には



もう一度会って、しっかりお礼を言いたい気持ちになった。



ちなみに、出張から帰ると、早速Aさんに大量の料理とお持ち帰り用のスイーツを



奢らされたのは言うまでも無い。





Posted by 細田塗料株式会社 at 23:08│Comments(0)
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