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2016年01月14日

家族のようなモノの恐怖!

サインディスプレイ部  営業のKです。

今日も寒かったです。

明日も、きっと寒いでしょう!

そして、週末も仕事関係の新年会のオンパレードです(泣)

風邪ひかないようにしないと!


それでは、怖い話、スタートです。


これは俺が子供の頃の話である。

本当に幼い頃、たぶん小学校の低学年の頃だったと思う。

ただ、そんな幼い頃に体験した記憶がトラウマのように今でも

しっかりと脳裏に焼きついている。

当時、父親は、銀行員ということもあり、毎晩帰りが遅く、子供にも

とても厳しい人だった。

だから、その頃は、父親に対しては、怖いという印象しかなかった。

母親は、そのぶんというか、とても優しく面白い人間だったのだが、

看護婦であり、やはり忙しく、子供と接する時間もあまり取れなかった。

そして、兄弟としては、兄が居たのだが、なかなか活発な人間であり、

弟の世話よりも、常に友達と遊んでばかりいた。

だから、年に一度とか、家族で外食に出掛けるのがとても楽しみで

あり、その頃の俺にとっては、家族が揃うのは、そういう時だけ、

という印象があった。

そんな感じであったから、俺自身も、いつも友達と遊んでばかりいた。

確かに友達と遊んでいると、時の経つのも忘れてしまう位に楽しかったし、

また色々と学ぶ事も多かったと思う。

ただし、夕方が近づいて来ると、その楽しさが、一変していつも寂しさに

変わっていた。

いつも遊んでいたメンバーは5~6人くらい居たと思うのだが、いつも、

夕方が近づいてくると、一人、また一人と家族のお迎えがきて、家族と一緒に

家に帰っていく。

そして、いつも最後にひとり残るのは俺だった。

正直なところ、家族が迎えに来た時の友達の顔には、嬉しさと共に、どこか

優越感みたいなものも感じられて、それが常に俺の寂しさを助長した。

ただ、家族が皆、忙しいのは理解していたし、迷惑も掛けたくはなかったのだが、

やはり誰もいない家に帰るのは避けたかったので、一人になっても、家族の

誰かが帰宅しているであろう時間帯まで、一人で公園などで遊んでいた。

ただ、一度だけ、家族が迎えに来てくれた事があった。

しかし、それが、今回お話しするトラウマな話である。

その日も、学校が終わると、友達を誘い、近くの公園で遊んでいた。

いつものように5~6人くらいで。

どんなくだらない遊びでも、友達と居ると、全てが最高の時間になっていた。

そして、夕方が近くなる。

その日は不思議と、友達の家族は、まだ誰も迎えに来てはいなかった。

その頃は、誰かの家族が迎えに来る瞬間の寂しさを誤魔化すように、夕方に

なると、出来るだけ周りを見ないような習慣になっていたのかもしれない。

だから、その日も、誰かの家族が迎えにきても気付かないように、遊びに

没頭していた。

すると、どこからか、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

おーい、○○

思わず顔をあげ、辺りを見渡すと、あろうことか、俺の家族が全員揃って

俺を迎えに来てくれていた。

いつも憧れていた光景だった。

じゃ、家族が迎えに来たから、俺帰るわ!

と言う俺の顔は、たぶん凄いドヤ顔になっていたかもしれない。

それくらい、嬉しかったし、それくらいの事でも俺にとっては、もの凄い

優越感があったから。

それじゃ明日、またな!

という友達の言葉に、片手で挨拶しながら、俺は家族のもとに走り寄った。

その時の父、母、兄は、いつもとは全然違う満面の笑みを浮かべていた。

そして、

今日は、どうしたの?

と聞く俺に

うん。ちょっとな。

今日は、折角だから少し散歩して帰るか。

と、ぶっきらぼうに答える父。

さきほど見た満面の笑顔からは、拍子抜けするような声だったが、

それでも、家族が全員で迎えにきてくれたという事実で、俺は

完全に舞い上がっていた。

そして、母親に手を引かれて歩き出す。

家とは、完全に真逆の方向に向かって、家族は歩いた。

5分、10分、30分、もうどれくらい歩いただろうか。

俺一人では、絶対に来ないであろう土地であり、今、自分が何処を歩いて

いるのかすら、全く分からなかった。

子供の足で、これだけ歩くと、さすがに足がしんどくなってくる。

なので、

ねぇ? どこまで歩くの?

と聞く俺。

しかし、誰からも、返事は返ってこなかった。

確かに、家族と一緒に帰宅するのは、夢のような出来事ではあったが、

俺の足は、もう限界が近づいていた。

ねぇ?ねぇ?

と俺の問いかけも頻繁になってくる。

すると、うるさい。さっさと歩け!

という父の声。

それならば、と思い、いつも優しい母に、同じように

ねぇねぇ、何処まで歩くの?

と聞いてみた。

すると、

お前があまりにも言う事聞かないから、お前を捨てに行くんだから。

黙ってついておいで!

と冷たく突き放された。

その父や母の言葉よりも、その時、ずっと違和感があったのは、

いつもの父や母の声とは、少し違うということ。

そして、さきほどの俺の問いかけに、母は、お前、という言葉を使ったのだが、

俺が記憶している限りでは、母は俺の事を、お前と呼んだ事は一度も無かった。

機嫌が良い時は、○○ちゃん、普通で○○、怒っていても、あんた、という

感じだった。

もう辺りは、夕暮れがかなり濃くなり、夜も近いという感じだった。

俺は、先程までの嬉しさは何処かへ消えて、今はもう、孤独感や怖い、という

感情で満たされていた。

そして、俺は、色々と考えてみる。

いつも、俺が寝てから帰宅する父が、こんな時間に帰宅するのも妙だったし、

母親も、病院が、そんなに早く終わる筈もなかった。

そして、さきほどから、チラッと見ていると、父も母も兄も、迎えに来てくれた

時と同様の満面の笑みを浮かべている。

たぶん、周りの人間から見たら、とても幸せな家族にしか見えないことだろう。

しかし、あんなに嬉しかった家族の笑顔が、もうその時には、俺に恐怖感しか

与えてくれていなかった。

俺は、なんとか、逃げる術を考えた。

今でも何故、あの時、家族から逃げようとしたのか、は自分でも分からない。

ただ、そうしなければ、終わりという事が、子供心らも、直感として

感じられたのかもしれない。

しかし、母親の手は、歩いている間中、必要以上にしっかりと俺の手を

握り締めていた。

とても、子供の力では振りほどけないくらいに。

なので、母親にお願いしてみた。

ねぇ、お母さん。

さっきから、もう手が痛くなっちゃってるから、握る手を替えてくれない?

と握られているのとは、逆の手を差し出す俺。

手が痛くなくなれば、ちゃんとついて歩けるからさぁ!

と更に続ける俺。

その母は、一瞬、困った顔をしたが、それまで握っていた俺の手を、離した。

今しかなかった。

俺は、すぐに身を翻して、走り出した。

今、自分が何処にいるのかは分からなかったが、いつも遊んでいた、

高圧電線の高い鉄塔が見えたから、それを目印に全力で走った。

自分が身を翻し、走り出したとき、その家族は、声を出す事もなく、俺は

もしかしたら、このまま無事に走り続けられるのかも、と思った。

が、次の瞬間、後ろから聞こえる足音。

タッタッタッとかなら、走って追いかけて来ている、とすぐ分かるのだが、

後ろから近づいて来る足音は、ズッズッと靴の底を摺りながら、足を滑らせて

いるかのような音だった。

そして、その音は、あっという間に、俺の背後まで近づいた。

が、それ以上は、何故かその足音は近づいて来なかった。

まるで、すぐ近くまで近づいて、俺が力尽きるのを待っているかのように。

だが、火事場の馬鹿力というか、子供とはいえ、やはり死に物狂いだと

日頃の能力以上の力が出るのかもしれない。

俺は、いつもなら、とっくに疲れて止まっていた筈の距離を走り続けた。

しかし、その間、不思議な事に、俺が走る道には、歩いている人と一人も

すれ違わなかった。

そして、それは、俺の知らない土地を過ぎ、俺が日頃からよく知っている

土地に入っても、人が一人も居ないのだ。

今、俺は、別の世界に連れてこられてしまって、もう家族とは会えないのかも?

そう思うと、涙がこぼれたが、俺には走り続けるしかなかった。

そうして、とうとう自宅の近所を通り過ぎ、ついに自宅が見えるところまで

来ていた。

だが、追って来る足音は、まだ背後から聞こえている。

俺は、自宅の玄関に鍵が掛かっていたら、アウトだな!と思いつつ、走る足に

力を込める。

そして、家の前まで来ると、そのままの勢いで玄関の引き戸を引いた。

鍵は掛かっていなかった。

帰りが遅かったのを心配していたのか、母親が駆け寄ってくる。

どこを遊び歩いてたの?

と怒られたが、そこにいる母は、いつもの母だった。

それじゃ、さっきの母は?

そう考えると、背筋がぞっとした。

それから、先程の家族が家に入ってこないか、ビクビクしていると、俺の話を

信じてくれたのか、母が父に電話で早く帰ってくるように頼んでいた。

その後、父が警察に通報し、家に事情聴取に来たが、どちらかというと、

夢でも見たんじゃないか?という顔をしていた。

が、その警官に対しても、母親が、どうして子供のいう事を信じないんですか?

と言ってくれているのがとても心強かった。

その後、父も心配して早く帰宅してくれて、ようやく安心して

布団に入った。

その晩は、母親が心配して、ずっと添い寝をしてくれたのが、これまた

嬉しかったのを覚えている。

その後は、その家族みたいなもの、とは遭遇していない。

それは、体験した事実である。









Posted by 細田塗料株式会社 at 20:11│Comments(4)
この記事へのコメント
営業のKさん

摩可不思議な体験ですね。
そりゃ、トラウマ体験でしょう。

現代社会では、子が親を殺め親が子を殺める時代、その理由も利己そのもの・・・世の中人間が一番怖い・・・その通りですかね。

理不尽なまでの威厳がある父と深く広い包容力のある母・・・どちらも同じ愛情 表現であった頃の良き時代、家庭の中で世の中の仕組みを教えていたのかな・・・と昭和生まれの私が懐古しています。
本来の季節らしくなってまいりました。
風邪などめされぬ様、飲み過ぎ注意(これはお前が言うなです)、ご自愛下さい。
Posted by 中西 at 2016年01月14日 21:36
中西様、こんにちは。
いつも、ブログをお読み頂きまして、本当に
ありがとうございます。
これからも、あまり怖くはありませんが、一応、怖い話をアップしていきたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。
中西様も、お風邪など、体調不良には、お気をつけください。
Posted by 細田塗料K at 2016年01月15日 12:11
営業のKさん

>あまり怖くはありませんが

どの記事も、私にとっては充分に怖いですから(泣

以前の記事に、マツダファミリアGTーAに乗られていたとありましたが、考えればスバルやミツビシがWRC仕様の車を発売する切っ掛けだったのですかね。近々、ロータリエンジン搭載の車が復活するらしい記事がありましたが、是非とも頑張って欲しいですよ。

私の兄は、マツダファミリアXG1・5に乗っていましたよ。
発売当時に新車で購入し、その後、雨宮製だったはずですがFRPボンネットとブリスターフェンダーキット、フジツボマフラーにBBSホイール、タイヤはピレリーP500だったかな・・・色々と改造していましたよ。
特に走り屋と言う訳でもありませんでしたが(笑

ところで以前、友人と共に廃墟からの脱出時、無数の霊から引っ張られて、命からがら逃げ延びたと言う記事がありましたが、それもGTーAだったのですか。
モーターサイクル好きな私の、別の角度からの楽しみです。
Posted by 中西 at 2016年01月15日 20:08
中西様、こんにちは。
モータースポーツ、それもラリーにはお詳しい様ですね。昔は、ラリーでマツダの323ファミリアがWRCで活躍していた時代であり、自分も憧れてGT-Aに乗っておりました。給料も殆ど、車に消えてましたし、馬力で240馬力、その他、色々と改造し、タイヤはSタイヤである、アドバンHF-RタイプDを履いてました。ちなみに、廃墟から逃げた時は、友人のギャランVR-4だったと記憶しております。また色んな車が登場するかもしれませんので、ブログを末永く宜しくお願い致します。
Posted by 細田塗料K at 2016年01月17日 13:37
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